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2014年08月06日
広島原爆の日
今日、8月6日は、広島に原爆が投下されてから、69年目。
facebookで、広島のお友達が、「広島の原爆の日」に寄せて、投稿されていました。
今から16年前に、私は夫の転勤先、「広島」に4年間住んでいたことがあります。
今でも、お友達が、広島にいます。
子供も私たち親も。
たった4年間でしたが、人生の中でとても充実した4年間でした。
今でも、この8月6日になると、広島を思い出します。
姫路から広島に転勤になって初めての夏。
8月6日の8時15分。
突然のサイレン「ウーーーーーー・・・」
驚いて、何が起こったんだろうと慌てましたが、そのサイレンは、広島での原爆投下の犠牲者のために追悼する時間だったのです。
姫路では無かった行事も小学校で行われていました。
夏休み前の「平和集会」
普通に、教室には「はだしのケン」の漫画の本もたくさんあり、いつでも子供たちが読めるように配慮されていました。
広島の子供たちは、常に「平和」を考える教育をされていたように思います。
町では、年配の人が、「原爆が投下されたあとは、何日もボロボロの人が駅にきていた」とか話を普通にしてくださっていましたし、
「戦争になったら、ああなってしまう。こうなってしまう。」という話を耳にすることがあり、
未だに、戦争の恐怖をまだ抱えている人たちが近所にいることも私には驚きでした。
兵庫県ではありえないことばかりです。
広島に住むまでは、日本人として恥ずかしいほどに戦争の事に疎い人間でしたが、広島に住んでいるうちに、
とても「戦争」「平和」「原爆の恐ろしさ」を感じながら生活することができました。
わたしは、翌年8月6日に息子二人を連れて、「原爆ドーム」に見学にいきました。
母の熱い思いは、息子たちに届いたかどうかはわかりませんが、
広島に住んでいるときこそ、「原爆」を子供と共に学びたいと思いました。
兵庫県と広島県。新幹線で1時間ほどでいける距離。。。そんなほどしか離れていないのに。。。
大きく戦争と平和への教育の違いがありました。
あの8月6日の広島で起った原爆の被害がどれだけ大きいことか。。。。69年経っても広島の人の心の傷は消えていないような気がします。
それを充分に感じました。
傷ついた人たち(広島)にしかわからない傷がどれだけ深いことか。
同じ日本人でもさほど離れていない場所に住んでいる感覚の戦争に対する「温度差」
私たちは、もっと自分たち日本人が傷ついたことを知り、戦争の恐ろしさ、愚かさを世界に伝えていくべきなのだと思います。
広島の人はとても面倒見のよい明るい人が多くて、わたしたち家族は、本当に暖かく迎えられていました。
今でも広島にいた4年間を懐かしく思い出します。本当に楽しい広島での生活でした。
8月6日とともに・・・。
この思いを風化させたくなくてブログに記しました。
facebookで、広島のお友達が、「広島の原爆の日」に寄せて、投稿されていました。
今から16年前に、私は夫の転勤先、「広島」に4年間住んでいたことがあります。
今でも、お友達が、広島にいます。
子供も私たち親も。
たった4年間でしたが、人生の中でとても充実した4年間でした。
今でも、この8月6日になると、広島を思い出します。
姫路から広島に転勤になって初めての夏。
8月6日の8時15分。
突然のサイレン「ウーーーーーー・・・」
驚いて、何が起こったんだろうと慌てましたが、そのサイレンは、広島での原爆投下の犠牲者のために追悼する時間だったのです。
姫路では無かった行事も小学校で行われていました。
夏休み前の「平和集会」
普通に、教室には「はだしのケン」の漫画の本もたくさんあり、いつでも子供たちが読めるように配慮されていました。
広島の子供たちは、常に「平和」を考える教育をされていたように思います。
町では、年配の人が、「原爆が投下されたあとは、何日もボロボロの人が駅にきていた」とか話を普通にしてくださっていましたし、
「戦争になったら、ああなってしまう。こうなってしまう。」という話を耳にすることがあり、
未だに、戦争の恐怖をまだ抱えている人たちが近所にいることも私には驚きでした。
兵庫県ではありえないことばかりです。
広島に住むまでは、日本人として恥ずかしいほどに戦争の事に疎い人間でしたが、広島に住んでいるうちに、
とても「戦争」「平和」「原爆の恐ろしさ」を感じながら生活することができました。
わたしは、翌年8月6日に息子二人を連れて、「原爆ドーム」に見学にいきました。
母の熱い思いは、息子たちに届いたかどうかはわかりませんが、
広島に住んでいるときこそ、「原爆」を子供と共に学びたいと思いました。
兵庫県と広島県。新幹線で1時間ほどでいける距離。。。そんなほどしか離れていないのに。。。
大きく戦争と平和への教育の違いがありました。
あの8月6日の広島で起った原爆の被害がどれだけ大きいことか。。。。69年経っても広島の人の心の傷は消えていないような気がします。
それを充分に感じました。
傷ついた人たち(広島)にしかわからない傷がどれだけ深いことか。
同じ日本人でもさほど離れていない場所に住んでいる感覚の戦争に対する「温度差」
私たちは、もっと自分たち日本人が傷ついたことを知り、戦争の恐ろしさ、愚かさを世界に伝えていくべきなのだと思います。
広島の人はとても面倒見のよい明るい人が多くて、わたしたち家族は、本当に暖かく迎えられていました。
今でも広島にいた4年間を懐かしく思い出します。本当に楽しい広島での生活でした。
8月6日とともに・・・。
この思いを風化させたくなくてブログに記しました。
Posted by linden at
22:33
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